このブログも、このエントリーで100個目だそうです。
つまり、運悪くこんな駄文を100個も読んでしまった、優しすぎる人もどこかにいるのかもしれない。ありがたいような、申し訳ないような、そんな気持ちになります(まぁ読んでくれてても最初の三行くらいだと信じていますがw)

そんな反省を活かすことなく、今回はいつもより長い目のエントリーを書いてみたいと思います。
本来そういう長文はここには書かないのですが…Twitter経由で自分の入ってるSNSには概ね全部更新通知が行き渡るにもかかわらず読者は少ない、そんな内輪向けのブログだからこその話だとも思いますので…。


個人的に気になったのはこのニュースなのです。

自治体判断で小中一貫校新設可能に…首相が指示(読売新聞) - livedoor ニュース

なんというのかな〜?こんなんやられたら、「中学校になったときに、そこまでのいじめ構造から抜け出す」ってチャンスがなくなるやんか、と単純に思うのです。

自分が通ったのは大阪近郊の農村部にある小規模な小学校でした。
町に近い新興住宅地を除けばそのほとんどが農村で、当然そのほとんどが昔から代々住み続けている人だった。

そこに親の代で移住してきたのが我が家でして。当然のように、地域としてはそれを積極的に受け入れる姿勢ではなかった。
子供の方は基本的にそんなのは関係なかった。とはいえ、「なんで、あそこの家の子と仲良くするねん」的な事をばあちゃんから…的な話は聞かんわけでもなかった。

それでも仲良くしてくれた個々人に対しては本当にありがたいと今でも思ってる。でも、そんな地域に対して積極的に好感を持っていたとは少々言いがたいし、”地域社会”ってもんに対して個人的に持っている不信感はやはりこれが根底にあるんだとは思う。


そういう環境をかなり大きく変えれたのが、中学への進学だった。
同じ小学校の人間はみんな同じ中学に進学したとはいえ、その中学校の中では少数派。自分の出身校におけるある種の上下関係は基本的に引き継がれなかった。

逆に多数派小学校側でマイノリティーだった人も、よその小学校からきた人間にとっては「割とどうでもいい上下関係」として処理してしまい仲良くしやすくて。それを狙ったわけでもないのですが、中学校では結果的にそういう人とつきあう機会が多かった気がする。

そんなボチボチよい学校内環境の中で、ほどほどにがんばってまあ悪くはない高校に進学し、そこでもそこそこの環境を得られた。今にして思えば、努力とは無関係にほぼ偶然与えられた高校時代の環境が、今まで生きてきた中で一番、意欲や向上心などのバランスがよかった(それがその後の苦労を呼び寄せた気もしますがw)。


小中一貫制にはある種の効率性があるのは確かだと思うのです。小規模自治体の小中学校を下手に統合しようとすればいろいろと反対がありますが、「小中一貫校1つに統一する」的なことを言われると恐らくは反対しにくい。管理する側からも楽だとは思う。

しかし、なんやかんやで選べる私立ならいざ知らず、地域的にほぼ強制的に行く学校が決まる公立の小中学校でこれをやると、小学校時に決まった「マジョリティー/マイノリティー」の区分を9年間引き継ぐことになる。それをうまくフォローできる能力を持つ健全な地域社会があればそれもアリでしょうが、昔よりも劣化している地域社会にそれを期待することは無理でしょう。

正直、子供を作る甲斐性のない人間からすれば直接は関係のない話。でも、そんな教育を受けた人から将来の年金を奪い取ろうとしている三十路過ぎのおっさんからすると…結果的に奪い取れる年金額は減ることになる教育制度だろうな〜、と思う。

みんな余裕がないんや、というんは分かるんやけど…ほんま学校は選ばれへんし、その割には将来を左右する。せめて義務教育くらい逃げ場を用意しとこうや、と個人的には思います。


…なお、次のエントリーからはいつも通り「つれづれなるままにその日暮らし」な生活をさくっと書くブログに戻ります。今後とも愛想を尽かさずおつきあいいただければ、と願っていますm(_ _)m